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2015.09.08

〜ガラス工場に電力供給を続けろ〜 (旧原町営業所)

東日本大震災が発生し、福島県南相馬市にあった旧原町営業所は津波ですべて流され、メンバーは直後に発生した原発事故から緊急に避難せざるを得なくなった。東京、仙台、遠くは三重県まで。
一方で、お客様も震災対応に追われていた。大手商社M社様より一本の電話が入った。「鹿島(茨城県神栖市)にある火力発電所に重油が必要です。ガラス工場が被災地に向けたガラスの生産が出来なくなってしまうんです。」津波で護岸が破壊され、修復までは船からタンクローリーでの輸送に切り替えたい、という要望だった。
しかし、出荷地は千葉県袖ヶ浦市。一番近くの東京営業所には重油のタンクローリーはない。ドライバーもいない。そこで白羽の矢が当たったのが、旧原町営業所のメンバー5名。避難先の家族の元を離れ、駆けつけてくれることになった。
緊急時とはいえ、「絶対にコンプライアンスは守って欲しい」と言われていたため、手分けをして消防や警察、排ガス規制の役所等に相談。手続きする度につまずき、出荷基地の手続きも困難の連続だった。それでも懸命に対応した。
当時はすでに引退していた元幹部が応援に来て、手続きをしてくれる。間もなく定年を迎えようとするベテランドライバーが先頭を切って、積み込み設備や構内ルールの教育を受け、後輩の指導に当たる。所長が納品先の火力発電所に行き、打ち合わせ。突貫工事で増設されたタンクローリー受入設備等の環境を確認する。配車担当者は期間内に納める大量の輸送計画を練る。それぞれの役割、立場で全力で対応した。
輸送が始まると、お借りした建設会社の社員寮で単身生活をしながら、毎日袖ヶ浦と鹿島を2往復。2ヶ月半、一度も事故やトラブルが発生しなかった。
プロジェクトが終わり、報告と謝意を伝えに、M社様責任者にご挨拶に伺った。そこで言われた言葉。

〜「自分がやって来た仕事の中で一番印象に残る仕事だった。あの後火力発電所で表彰式があって、石油元売会社さんが表彰されたんだよ。だけどね、あれは『若林運送だろ』って思ったよ」〜

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